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【WEB漫画】『学校へ行けない僕と9人の先生』が最終回を迎えました~作者の不登校体験を描いた漫画

投稿日:2014年11月25日 更新日:

今年5月に紹介した『学校へ行けない僕と9人の先生』。
11月21日の更新で、最終回を迎えました。

Twitterでは更新の度に感想をつぶやいていましたが、半年の間に新規のブログ読者さんも増えたと思うので、今回、改めてご紹介。

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学校へ行けない僕と9人の先生(棚園正一)

現在読めるのは1話と、7・8・9・10話です。前半が無いと分からない部分もありますが、話の筋は概ね掴めると思います。
WEBコミックアクション」にて連載中。
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あらすじ

小学校に入学したばかりの主人公・棚橋正知。
担任の話す言葉についていけず、正直に「わかりません」と伝えたところ、突然、ビンタを食らわされる。

学校に行ったら、また怒られるかもしれない。
そんな不安からか、頭痛に襲われ、「黒いおじさん」の夢をみるようになる。

不安と頭痛に苛まれる中、どんどん学校へ向かう足が遠のいていく…。

小中学時代、不登校だった作者と、作者の人生に影響を与えた「9人の先生」との物語。
全10話で完結。単行本は2016年2月28日発売予定。
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感想

●5月末時点での感想はこちらを参照ください

最終話については、鳥山明先生の描き方とか、窓の使い方とか、演出的にも語りたいところは多々あるのですが、公開されて1週間も経たないのにネタバレ感想を書くのもどうかと思うので、単行本が発売した時に語りたいと思います。

でもちょっとだけ書くと。稲川先生と新聞記者に対する棚橋くんの対応は、7話での経験が大きいと思っています。棚橋くんは大人の事情を察しつつも、自分の気持ちに正直に生きようとしていて。周りの大人は気付かないかも知れないけれど、本人にとっては大きな前進だったと思うのです。鳥山先生に会った時の顔は、とても良いですね。私も棚橋くんと一緒に幸せな気分に浸りました。
学校へ行けない僕と9人の先生

最終話についての感想はそのくらいにして、今回は7-9話を中心とした感想を書きます。

この漫画は、不登校の当事者としての作者の経験を元に丁寧に丁寧に、淡々と描いています。
最終話まで一貫して主人公である棚橋くんの感情を丁寧に描いた作者もすごいし、それを良しとした編集さんもすごいと思いました。

淡々と描かれる「フツウ」の壁。「フツウ」を維持する為に発生する別の問題。「フツウ」になれない棚橋くんの苦しみ、悲しみ、葛藤。
「フツウ」という名の、ある種の呪いの姿。
学校へ行けない僕と9人の先生

主人公・棚橋くんはフツウであろうと努力した結果、6-7話あたり(小6くらい)で友達も出来て学校にも通えるようになる。

しかし、漫画を読みながら、私はそんな棚橋くんに違和感を感じるのです。不登校である時に比べたら、明るい道を選んだようにも見えるのだけど、自分に嘘をついて、嘘に嘘を重ねて、ハリボテのように生きる人生は、良い人生なのだろうか。学校に通えれば、フツウであれば、万事丸く収まるのか。

棚橋くんは自分に正直に生きると決めた結果、不登校を続けることになる。ある意味で困難な道を選んだ。

しかし、もしも。棚橋くんが「自分に嘘をついてフツウを演じて生きる道」を選んでいたら?そんな可能性に思いを巡らせると、ゾッとする。ただひたすら、怖い。
学校へ行けない僕と9人の先生

この漫画で私が最も気になっていたのは、棚橋くんのお母さんなのです。
主人公は棚橋くんであり、当時のお母さんの気持ちや対応は想像で補うしかありませんが、9話は読んでいて胸が痛かったなあ…。

WEB連載で全話読んているのですが、お母さんは棚橋くんを無理矢理に学校に連れ出したり、フツウであることを強いたりはしませんでした。
それは、本当に有り難い(=なかなか出来ない)ことだと思うんですよ。
5月末の感想でも思った事ですが、私も学校に通っていた当時だと、親が無理矢理にでも学校に行かせることの方が”子どもへの愛情が深い”とされたと思うから。棚橋くんの存在や気持ちよりも世間の評価を重要視していたら、きっと、殴ってでも無理矢理に、学校に行かせていたと思う。親はいくらでも、美談をでっち上げられるので。
学校へ行けない僕と9人の先生

自分の娘はまだ2歳半と4か月で、学校に通うのはまだ先の話なのですが、色々考えてしまいます。

自分自身、親として、不登校になった子どもに「フツウであること」を強要しないだろうか。
フツウでない子どもを、恥に思わないだろうか。お父さんのように、子育てを間違えたと言ってしまわないだろうか。子どもの気持ちよりも、自分の気持ちを優先させないだろうか。

この漫画を読むたびに考えます。学校って何だろう。フツウってなんだろう。

堀江貴文さんの学校論

この三連休で読んだ、堀江貴文さんと瀬戸内寂聴さんの対談集『死ぬってどういうことですか?』。
寂聴さんの話が目的で読んだのですが、堀江さんの話が示唆に富んでいて面白かったです。

この本の中で堀江さんが、学校について、こんなことを語っています。
堀江さん、この漫画を読んだのか…?と思うくらい、発言が的を得ていて驚きました。

イジめられることの一番の問題点っていうのは、「学校に行かないことが負け組だ」って、社会のその決めつけ。それがよくないんですよ。だから先生も「負けるな」っていうし、親も負け組だって思うし、周りの社会も負け組だって認めるし。そんな社会ですよね。

この本の中で堀江さんは、日本の学校制度は明治5年に「学制」が制定されてから変わっていない、現在の社会と大きくかけ離れたものだといったことも語ります。

正直なところ、現在の学校制度は破たんしていますよね。
不登校もある意味で自然なことだと思うのだけれど、その受け皿が何もなくて、不登校の子どもに学習意欲があっても学校に通えなければ道が断たれる。全てにおいて学校に通うことが前提である現状には疑問を感じます。

死ぬってどういうことですか?

『学校へ行けない僕と9人の先生』の中で、棚橋くんは誰のことも責めていません。ただ淡々と、自身の体験を描いています。

漫画を読みながら、私は稲川先生など棚橋くんをサポートする大人たちに対して違和感を抱きました。
大人たちは、棚橋くんを紹介するときに「この子、不登校で~」と語る。棚橋くんはその表現にショックを受ける。恥ずかしいと思う。

棚橋くんの気持ちに共感を覚える一方で、自分の中にある先入観というか、棚橋くんを紹介する時に不登校という説明が要らないこと、「この子は漫画が好きで鳥山先生のファンなんです」といった紹介で充分だということに気付かされました。

私も含め大人は、堀江さんが指摘する”社会の決めつけ”を前提にして、子どもの属性を語ってしまうのかも知れません。

『中学なんていらない。』と『プロチチ』に描かれた親の気持ち

ちょっと前に発売された青木光恵さんの『中学なんていらない。』。

この中で、青木さんが「学歴なんてどうでもいいと思ってたやん!!」と叫ぶ姿が描かれていますが、親になったら感じるのがこの部分で。

上述した堀江さんの指摘は、その通りだと思うんですよ。学校なんて通わなくてもいいじゃん。通ってなくてもおもしろい人はたくさんいるし。その通りです。

でも、自分の子どもにはフツウであってほしい、と思ってしまうんですよ…orz
凡人だ!つまらん!…て自分で突っ込んでしまうのだけど、フツウの人生を…と願ってしまう。
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この思いは、逢坂みえこさんの『プロチチ』4巻でも語られます。
特別、優れていなくてもいい。「他の子より劣ってないこと」を望む気持ち。

この「優秀でなくてもいいから、フツウに育ってほしい」という親心は何でしょうね…。
ある種の「バカの壁」というか思い込みの壁のような気はするのですが…なんというかナチュラルにそう思ってしまうんですけれど…。
プロチチ

『学校へ行けない僕と9人の先生』を読むと、親としては自然な想いが子どもを、棚橋くんを苦しめているような気もする。漫画を読んで感じた「フツウの呪い」の発生源もまた親なのではないかと。

作中で棚橋くんが、親の願いと同じことを語っているのですが、子どもにこれを言わせちゃいけない気がする。
学校へ行けない僕と9人の先生

漫画を読んでいると、棚橋くんが学校に行かないことって、自然なことだと思うのです。自分の気持ちに正直に従った結果だから。
私も親として娘たちには、自分の気持ちに正直に生きて欲しい。

そこで「学校なんて行かなくても大丈夫だよ」って、開き直れたらよいのですが。
ぐぬぬ。フツウが良しとする考えから、なかなか抜け出せない。

子育てに正解なんてないのだけれど、自分の中の矛盾が炙り出されてしんどいですね。
子どもが学校に通いたくない時、親としてどうすればよいのだろう…。

学校に行けなかった私のはなし

感想を書いたあとで不登校について調べていて気付いたのですが、自分にも不登校になった時期がありました。
親元を離れた、大学2年の終わりから3年生にかけての1年間、大学に行けなくなりました。いじめとかではなく、がんばりすぎによる疲労が原因です。

ある朝、学校に行こうとすると体が全身で拒否をするようになりました。涙が出る。体が震える。
自分の体が自分の思うように動かない。これは非常にショッキングな出来事でした。何が起きたのだろうと。不思議なことに、アルバイト先には行けるんです。学校にだけ、行けない。

昼間はゲームをしたり漫画を読んだりして過ごし、夕方からバイトに行く。友達とも会わず(会えず)、アルバイトの時間以外は家にひきこもったような1年を過ごしました。親には話していません。多分、これからも話すことはないでしょう。

私は大学に通えなくなりましたが、特に咎められることはありませんでした。色々な理由で大学に通わなくなる人はいます。海外を放浪したり留学したり、アルバイトの方が楽しくなったり。
また、1年間休んでいても大学は、単位さえ取得できれば卒業は出来ます。学費はかかりますが留年しても8年目までは問題とされない。友達や後輩で単位が足りなくて留年した人もいます。

自分が不登校だった時、罪悪感はありました。でも、大学は自由だし誰も何も言わないから、復学しやすかったとは思います。
ゼミには所属していましたし担当教官もいましたが、用が無ければ足を運ばなくて済む。教室とは違って変なプレッシャーがない。基本的には1人で気ままに過ごすことができました。

漫画を読んでいると、学校の仕組み自体が復学を困難にしている気がします。義務教育ではあるのですが、大学みたいな形は無理なのかな?と思ってしまう。

あと、気になるのが、この「学校に真面目に通った方が勝ち」みたいな考えかたって、ブラック企業の姿勢に似ている気がして。ただ通うのを良しとして子育てをしたら、過労死するまで働いてしまわないかしら。

まとめ

えーっと。全くまとまってませんが。色々なことを考えさせてくれる、素晴らしい漫画でした。

作中で棚橋くんは、誰も責めない。主張しない。
体験を淡々と描くことの凄まじさを感じるといいますか、読む度に気づきがあって、自分自身と対話して、深く考えさせられてしまう。恐ろしい作品ですね。

作者・棚園さんのインタビューも、最終話を読んだ後で読むと、違った印象がありますね。主張を交えず淡々と描くって、簡単じゃないと思うんですよ。でも一貫してそれが出来ているからこそ、この作品を読むと心が揺さぶられます。

不登校と漫画と鳥山明――漫画を描き続けて自分と世界が変わるまで
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1402/21/news031.html

私、最初は「鳥山明先生が出るらしい!」てミーハー心だけで読んだんだけど(笑)、連載を追い続けた結果、作品のファンになってました。

最終話は決意表明でもある。まずは単行本の発売を、そして次回作を楽しみにしています。

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